お友だちと久しぶりに会えました

午前中買い物に行った後に家の前の公園に3歳の息子を連れて遊びに行きました。
すると、そこで1年半程前によく公園で一緒に遊んでいた親子と久しぶりに会うことができました。いつもはもう少し早い時間に公園に行くのですが、今日は買い物帰りに行ったので会うことが出来たと思います。
その親子は息子と同い年の男の子の親子で、たまに公園で会うことがあり、会うと子どもたちは同じ遊びをして楽しんでいました。けれど最近は全く会うことがなく、引越しでもしたのかなと思っていましたが、お母さんが妊娠出産していたようで、今日は久しぶりに公園に来たということでした。最後に会った時に2人目が欲しいと言っていたので無事に赤ちゃんが出来て良かったなと思いました。
お友だちはとても活発でよく動き回っていました。我が子は少しおっとりした性格なのですが、同じように走り回っていて楽しそうでした。息子の三輪車をお友だちに貸したり、お友だちの自転車を貸してもらって乗ったりもしました。
また今度遊ぼうねと約束してさよならしました。今度はお友だちのお母さんの連絡先を聞いてみたいなと思ってます。

情報の選択

みなさんTwitterやFaceBookなどのSNSのアカウントはお持ちですか?
ほとんどの方が上の2つやほかにもinstagramやtumblrといったSNSのアカウントをお持ちだと思います。
そうしたSNSの普及によって、今ではインターネット導入期以上に使い手の情報の取捨選択の能力が問われていると思います。

ネットビジネスの展開やネットを通じた学生運動やその他活動の宣伝など、すべての情報を鵜呑みにしてしまっては現代の情報社会は生きていけません。
こんなことを言っていること自体、もはや当たり前のこと過ぎて、反対にそれができていないことにも気づかなくなってしまってはいないでしょうか。

たとえば私の場合、政府奨学金の存在を知ったのはTwitterで拡散されたツイートがきっかけで、そこから信頼できる情報かどうか調べ、個人的に必要な手段をとった結果、採用が決まり、留学の機会を得ることができました。
自分にとって良い面のある情報であっても、自分で調べる、確かめる、という作業が必ず必要だと私は思っています。
誰しも楽して高額稼げるネットを媒体とした副業があるという情報を目にすればそれに飛びつきたくなるでしょうか、それは発信者がどういった経緯でそのビジネスを展開しているのか、またそのビジネスの再現性はどの程度かといったことを最終的には自分の基準で判断しなくてはいけないのです。
そこに情報があるから、それを信じてやった結果、ダメだったなんてことは十分にあり得ることで、その場合のリスクを情報の発信元に転嫁することはできません。
顔を合わせずして取引が成立するようになったことは、私はよいことだと受け取っていますが、それは従来よりもいっそう自己責任の範疇が大きくなったことを意味していると思います。
自分が発信する側になるときも同じです。何気ない一言が、全世界に拡散しうるというリスクをあなたは考えているでしょうか?

私は自己責任が大きくなったことに対して、情報を選ぶ能力の進歩がないままにあらゆるツールを使用することに対して警鐘を鳴らしたいと強く感じています。